ごあいさつ

はじめまして。
市川 猛(いちかわ たけし)と申します。
プロフィールをご覧くださり、誠にありがとうございます。
「困っている人のために仕事をしたい!」
私は前職を辞して、整体の道に飛び込みました。
あれから15年以上経った今、「転職したことで天職に巡り合えた」と心から言えることができます。
このページでは、私がどんな人間なのかを知っていただきたいと思い、生い立ちから現在にいたるまで書かせていただきました。
つたない文章ではございますが、ご興味ある方はお読みくださいませ。
略歴
- 阪和鳳自動車工業専門学校卒業
- 自動車ディーラーにて10年間勤務
- 営業職への異動をきっかけに退職
- 梅田にある健康療術学院にて整体技術を習得
- 整形外科、鍼灸整骨院、整体院で経験を積む
- 2013年 堺市西区津久野町にて独立開院
取得資格・認定書

整体で心がけていること

私には、整体を行う中で心がけていることが、二つあります。
一つは、お客さまの身体は自分の身体だと思って、施術をさせていただくことです。
もう一つは、お客さまの話しをしっかりとお聞きし、気持ちも楽になっていただくことです。
一番うれしいこと

諦めかけていらっしゃる方が、通院していただき回復されることです。
体調不良が長引いていらっしゃる方、深刻な症状の方、大きな病院でも治らなかった方ほど、回復された時のうれしさは、ひとしおです。
詳しい経歴
生年月日・血液型
1974年(昭和49年)3月16日生まれ うお座
血液型は、AB型です。
趣味
・アメリカ4大スポーツをTV観戦すること
・音楽鑑賞(ジャズ・フュージョンが好きです)
・読書(小説や医療関係の本をよく読んでいます)
・路地裏さんぽ
好きなもの
・妻が作ってくれるドリアが大好物です^^
・小さめでよく焼いた、たこ焼き。
・動物はレッサーパンダが好きです。
・洋服はアメリカンカジュアルを好んで着ています。
・浜寺公園、高石漁港、銭湯、昭和を感じさせる商店街など、ホッとできる場所が好きです。
・旅行先では、湯布院、宮島、四万十川、伊勢神宮、能登島、金沢ひがし茶屋街が好きです。
家族構成

・妻と娘の3人暮らし、堺市西区に住んでいます。
・妻は石川県出身で福祉関係の仕事をしています。
・娘(平成30年生まれ)は活発でよく笑います。
出生地

父親の実家がある住之江区、南大阪病院で誕生しました。
東加賀谷商店街や粉浜商店街に行くと懐かしい気持ちになります。
誕生後、堺市で、父、母、兄、私、弟と5人で暮らしていました。
母が言うには、3人兄弟の中で一番手のかからない子供だったようです。
浜寺小学校・浜寺東小学校
生徒数増加に伴い、家の近くに新しい学校ができたため、卒業するまでに2つの小学校に通っていました。
家に帰ってからは、近所のお兄ちゃん達によく遊んでもらいました。
小学校時代の思い出は、下校中に段ボールに入れられた数匹の子猫を友だちと発見し、毎日ようすを見にいったことです。
私は、ある一匹を「ゼブラ」と名づけて可愛がりました。
ある日、母親に「子猫を飼ってもいい?」と聞いてみましたが、いい返事ではなかったです。
今でもゼブラの顔や鳴き声を思い出すと、切ない気持ちになります。
浜寺中学校
私の学年で15クラス、2つ上の学年で16クラスもあるマンモス校でした。
2年生の運動会で、リレーの第三走者として走りました。
バトンを渡した瞬間ころんでしまいましたが、大声援のなか走るよろこびを感じました。
堺上高校
設立して間もない堺上高校を受験し合格。
ピカピカの校舎で授業を受けていました。
クラブには入らず、1年生の頃からアルバイトに励んでいました。
はじめてのアルバイト先は、鳳大社近くにあるホカホカ弁当屋さんです。
他にも花の博覧会・近鉄百貨店のビアホール・居酒屋・工場などでアルバイトをしてきました。
高校時代に一番熱中していた趣味は、自動車レースF1です。
好きなF1ドライバーは、アラン・プロストとナイジェル・マンセルです。
阪和鳳自動車工業専門学校
1992年、F1が好きというだけの理由で自動車整備士を養成する専門学校に入学しました。
周りの生徒は、すでに自動車に乗っていたり簡単な整備をしたり、親が整備工場を営んでいたりする、自動車に興味がある人たちでした。
一方、私はF1中継が好きなくらいでしたから、場違いな学校に来たかもしれないと内心焦りました。
実際に実習では何をどうしたらいいのか分からず、学校に行くことが嫌だった時期がありました。
それでも両親にお願いして入学した手前、がんばって勉強をしました。
120名中、6名の合格者しかでなかった第一回卒業試験に合格。
国家試験も無事合格し、自動車販売会社に就職することができました。
自動車整備士・車検業務に携わる

1994年 専門学校を卒業後、地元の自動車販売会社に就職しました。
1年目は洗車、オイル交換やタイヤ交換などの軽整備、先輩の補助が主な仕事でした。
入社2年目に車検を通す国家試験に合格し、車検業務に携わることになりました。
本来、国の仕事を代わりに行うため、定期的・抜き打ち含めて国土交通省の立ち入り監査が入ります。
毎回とても緊張しましたが、真面目で几帳面な性格のおかげで問題なく終わることができました。
サービスアドバイザー
入社4年目には、整備の受付業務であるサービスアドバイザー職に異動となりました。
実は、アルバイトを含めて一番避けていた接客業です。
それでも直属の上司に恵まれ、仲のいい営業マンと出会えて、お客さまに少しづつ認められると接客業が少しづつ確実に楽しく思えるようになりました。
ディーラーには、営業担当がついていないお客さまが来られます。
私は、このようなお客さまをサポートしてきました。
後の退職時のあいさつ回りで、多くの方から労いの言葉をかけてくださったのは、とてもうれしかったです。
自らの病気

気を使い、がんばり過ぎたのでしょう。
私は、自律神経失調症や不安神経症などを患いました。
整備関係の仕事は嫌ではなかっただけに、自分の身体をコントロールできないもどかしさを常に感じていました。
この頃、病院や整骨院などによく通っていたのもあり、「人を治す」仕事に興味を持ちはじめました。
自らの病気が今の仕事につながるとは、人生何が起きるのか分からないものですね。
整体の道へ

忘れもしない29歳の年末、私は営業職への異動を命じられました。
整備の先輩方をみて、いずれ営業職になるんだろうとは思っていました。
しかし、29歳では早すぎました。
アドバイザー職を長年経験すると、
・愛車が直るかどうか心配
・予期していない出費への不安
・事故や走行不能の故障の場合、怒りの感情を抱かれる
このように、マイナスな感情が多いことがよく分かります。
一方、新車を検討されるお客さまは、
・新車へのワクワク感
・家族が増えたことによる乗り換え
・車検を機に乗り換え
このように、前向きな気持ちの方が多いです。
私からすれば、同じ自動車関係でも営業職は転職するようなものです。
困っている人のために役立ちたい気持ちが強いこと。
そして、年齢的にもチャレンジしやすいことが決め手となり、約10年勤めた会社を退職することにしました。
前職の思い出

全国から名古屋に集結する、トヨタ技術検定1級の試験。
私が在籍していた会社からは、約30名試験に挑みました。
前述したように、私は車検を通す仕事をしていた時期であり、多くの整備をしていた訳ではありません。
それでも自社全体で1位の成績を納め合格、この年の年間優秀社員賞に選ばれました。
本部の整備課長から、「市川 お前よくやったな!文句なしの優秀社員賞や!」と褒めていただいた時は、すごくうれしかったです。
独立開院
修行時代を経て、2013年4月8日。慣れ親しんできた堺市西区で独立開院しました。
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